コラムNo20
2014年10月03日
誰もが幸せに暮らしたいと、願っていることでしょう。
ある国の王様は立派な王宮に住み、山海の珍味を食べ、多くの家来にかしずかれ、何不自由なく暮らしていました。しかし、少しも幸せではありません。それどころか心は憂鬱で暗かったのです。ある日、王様は家来に命じました。
「国中で一番幸福な人を探して、その人の上着を私の所へ持ってまいれ。その上着を私も来てみよう。そうすれば少しは気が晴れるだろう」
家来は国中を探し回りましたが、なかなか見つかりません。しかし多くの人々が、たぶんあの人だろうと言う男が、とうとう見つかりました。家来が会いに行ってみると、その男はお百姓さんでした。畑で汗まみれになって働いていましたが、やはり評判通り、ニコニコ笑顔に満ち溢れ、幸せそうです。
ところがお百姓さん、上半身、裸で働いているではありませんか。
家来はとうとう、上着を王様の所に持って帰る事が出来ませんでした。
物質的には豊かな王様が、喜びがナイ、明るさがナイ、幸せがナイと不平不満を口にし、灰色の心を持てあましていたのに対し、上着一枚持たなかった、お百姓さんは、明るい太陽がアル、綺麗な湧き水がアル、美味しいお弁当がアル。家には女房も子供もいる。そして神様がおられると感謝を口にし、ニコニコ朗らかに暮らしていたと言うお話です。
聖書に悲しむ人々は幸いだと書いています。悲しみの中にあっても、神と出会う事ができたならば、神の愛を知ることができ、神の慰めを受けることができるからです。
聖書は私達に、神を心から信じる事が何よりも幸いなことだと教えています。
“悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる”(マタイによる福音書5章4節)