東日本大震災の発生から丸2年が経ち、あの日を思い起こし3月11日は多くの人々が手を合わせて、祈りの日となりました。
震災復興の応援ソングである「花は咲く」の一節に「悲しみの向こう側に…花は咲く、私は何を残しただろう」と歌われています。私達はあの悲しみ苦し みから何かを学び、その学んだ教訓を如何に未来の生活に、また次の世代に残して行くのかが、重要な事ではないかと、「花は咲く」の歌は教えてくれているよ うに思います。
さて教会では受難節(レント)の期間を迎え、イエス様の十字架に至るまでの御(み)苦(くる)しみを覚えながら過ごしています。イエス様と弟子達は あのレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」の絵画で有名な最後の食事を終えて、ゲッセマネの園にやって来られました。ゲッセマネとはオリーブの「油をし ぼる」という意味ですが、まさに、この場所でイエス様は父なる神様にしぼり出すように心の悲しみを祈ります。しかし「私が願う事ではなく、御心に、かなう 事が行われますように」と最後には神様のご計画に従われます。そして私達を愛し私達の罪のゆえに、イエス様は十字架に架かって下さいました。イエス様は十 字架の苦しみを通して、その悲しみの向こう側に、私達の為に救いの道を残して下さいました。十字架の御苦しみによって、私達に罪の赦しと永遠の命への道を 備えて下さったのです。
今年の桜の開花は早いようです。被災された方々の心の中にも早く、花が咲かれることをお祈りいたします。そして私達もイエス様の御苦しみを覚えて、神様が私達を愛して、残された救いの道を信じ、心に信仰の花を咲かせて行ければと願います。
“神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである”
(ヨハネによる福音書3章16節)