教会員の声

イエスにならって

T・T(女性)

 日々起こる様々の悲惨な事件の報道にふれる度、私達の心は暗くなります。国内では痛ましい事件、特に少年による犯罪が跡を絶たず、外国では宗教の名を借りたテロリズムが荒れ狂い、多くの罪の無い人々を巻き込み不幸にしています。宗教が何かの弾みで方向を誤った時、社会で疎外された人々、満たされない思いの行き場を求める人々の心を巧みに捉える悪魔へと姿を変えてしまうのでしょうか。

 イエスもまたユダの荒野で悪魔の試みに遭われました。悪魔はイエスに次のような言葉で迫ります。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう、もし私を拝むなら、みんなあなたのものにする。」(ルカ、4:6,7)「地上の王国」、それはまさに現代の過激派達が、暴力や殺戮の果てに求めるものでもあります。しかしイエスの悪魔への返答は否でした。

 クリスチャン作家、遠藤周作の『イエスの生涯』には、ユダヤ教の厳格な裁きの神に対し、愛の神、憐れみの神を追い求めていたイエスの姿が描かれています。目を見張るような数々の奇蹟を行うイエスを見て、人々はこの人こそ自分達を救うために地上にやって来た「王」にちがいないと思います。しかし「奇蹟物語」以上に福音書が生き生きと語るのは、イエスの愛のわざを伝える「慰めの物語」であると遠藤周作は言います。苦しんでいる者、蔑まれている者に寄り添い、慰めを与えるイエスの姿こそが、多くの奇蹟にもまして聖書を読む私達の心を強く打つと言うのです。

 人々も、弟子達さえも、イエスがいつか「地上の王国」を建ててくれると期待しました。でも、イエスが本当に望んでおられたのは、人々の苦しみに寄り添うこと、悲しみにくれる人の悲しみを癒すことであった、、、そのことを知り、イエスに習って、一つ一つは小さな愛のわざを、私達もまた実践していこうとするなら、毎日のように痛ましい事件が起きる、荒野のような現代の世の中に、人々の苦しみ、渇きが僅かでも癒されるオアシスを作っていけるのかもしれません。

 

2012年8月26日 奨励 「生きることの本質」最終回

I・K(男性)

4ヒトが生き残るために

①生物が生存できる地球に
自宅庭の朝顔は種から双葉になり、蔓が伸び、ネットの上に行きつくと、協力しあうかのように蔓同士が絡みあって太い束になって次の場所を探っています。植物にも意志があるように見えます。
盆過ぎに淡い赤い花が1輪咲き、少しずつ増え、1週間遅れて水色の花が加わり、今朝数えると赤が30、青が120ほど咲いていましたが、毎日それを見て元気を貰っています。
植物から貰っているのは元気だけではなく、ヒトを含むすべての動物は、植物が作った酸素と植物の命、及び食物連鎖で植物から転換された動物の命を貰って生きています。
人類の活動による温暖化で、多くの生物を絶滅させていますが、人類は生活様式を変えてでも温暖化を阻止して、生物が永く生存できる環境を維持することが求められています。

 

②優しさが自らを救う
青い水の星:地球は、果てしない宇宙でも他には見つからない、かけがえのない生命を育む星で、そこに住む生物と共存できるか否かが人類に問われた命題であり、人を含むすべての生物に対して「優しさ」を持って行動できるか否かで、自らを救えるかどうかが決まってくると思われます。
ある教会員の方が、サザエを壺焼きにする時に「ごめんなさいね」と声をかけたそうです。
サザエに対するその声掛けを知って、その方の人柄がさらに奥深いものに感じられ、そのような人が存在する人類は、まだ生き残れる可能性を残しているのではないか、と思われました。
尚、私は、人を見るのに、「人柄」を最重要な尺度にしています。

 

③子どもの感性と優しさを伸ばすのが教育の原点
最後に、朝日新聞の「ひととき」欄の寄稿文の一つを紹介してこの話を終えたいと思います。

「娘のあいさつに学ぶ」寄稿:座間市 安藤 由美さん(主婦30才)
まだ赤ちゃんっぽさの残るぷくぷくとした手を合わせ「いただきます」「ごちそうさま」と丁寧にあいさつする2才半の娘。 彼女がこの言葉を覚えたときは、料理を作った自分へのご褒美のようでうれしかった。 私への言葉だとずっと思っていた。
でもある日、食事の最初と最後だけあいさつをしていた娘が、一口食べるたびに「ブロッコリー、いただきます」「おさかな、いただきます」と言い、一品目を食べ終わるたびに「ブロッコリー、ごちそうさまでした!」「おさかな、ごちそうさまでした!」「ごはん、ごちそうさまでした!」と手を合わせて言ったのだ。

その姿を見た私は、はっとした。「いただきます」「ごちそうさま」のあいさつは、料理を作った人だけに向けられるものではない。 毎月お米や野菜を送ってくれる実家の両親や、食材として口に運ばれるまでにかかわったすべての人、さらに食材そのものへの感謝を表すものなのだ。

(以下略)

用意した寄稿文の一つを時間の関係で省略しましたので、二つをコピーしてお配りしました。
原発事故でも露呈しましたが、高い教育を受け、誤りなく国をリードすべき立場の政治家や官僚、トップ企業のトップが恥ずかしい言動を弄するのと対照的に、子どもの感性と優しさに救われます。
子ども達の心を真っすぐに伸ばすことこそ、教育の原点であり、社会に求められていると思います。

 

2012年8月26日 奨励 「生きることの本質」3

I・K(男性)

3私にとっての教会、生き物の見方

①丸山教会の存在
私が、50才以後の人生を乗り越えてこられたのは、教会を知って、通う内に、心がやすらぎ、
「自分さえよければいい」という、それまでの生き方から少し変わることができたお蔭です。

ある日の教会学校では、映画「汚れなき悪戯」に題材をとり、スペインの片田舎で、戦争で破壊された修道院を再建する修道士たちの許に捨てられた赤ちゃんがマルセリーノと名付けられて賢く純な少年に成長していく物語ですが、農作業中の修道士が村人から「又、敵が攻めてきたら荒らされ、収穫できず、殺されるかも知れないのに、何故そんなに懸命に仕事をするのか」と訊かれ、「明日がどうなろうと、今日1日を大切にしたい」と答えるシーンを話されましたが、まだ見ていないその映画の場面が鮮明に浮かび、「自分も、少しでも、そのように生きたい」と思いました。

②動物にも心がある
3・11の津波の凄まじさは思わず息をのむほどで、亡くなった方、それを助けられなかった人の無念はどれほどだったでしょうか。 津波の場面を見るたびにそのことを考えます。
最近、ふと、津波に遭った動物はどうしたろうか。原発の放射能を浴びた鳥や昆虫もいただろう。その影響で苦しんでいるかも知れない、と考えるようになりました。
そのキッカケは「ダンゴムシに心があるのか」という本で、学者として様々な実験と考察を繰返した上で出された「ダンゴムシには心がある」という結論に、本当だろうかと思い、家の周囲に沢山いるダンゴムシの、著者が心があるとする根拠としての行動を何度も観察している内に、彼らに「心」があるというのは本当だろう、と思えるようになりました。 それは、衝撃でした。
そして、ダンゴムシに心があるなら、哺乳類、爬虫類、昆虫はもとより、ミミズにも心があるのではないか、と思っています。

昨年秋、庭にカマキリの雄と雌が現れるようになりましたが、ある寒い日から姿が見えなくなり、気になって探していて、朝顔のネットに泡状の卵が産みつけられていたのを見た時に、実に唐突に、30年前の鮮烈な光景を思い出しました。それは、カマキリの雌が交尾直後に、前脚の鎌の一振りで雄の頸を刎ねて、まだ生きている頭と胴体を食べてしまった一部始終です。
あの時は、雌カマキリを、なんて酷い奴だと思いましたが、今はその光景が納得できます。
「本能」というより、あの雄カマキリに心があったから、自ら命を託したのではないか、今度の雄も、やはり、子孫のために雌に命を預けたに違いない、と確信しました。

③魚は痛みを感じている
次に「魚は痛みを感じるか」という本を読んだ時は、思わず、「アッ」と声が出かかりました。
私は小さい時から釣りや海に潜って魚を突くことが好きで、夏休みは毎日海に通っていました。
仕事では魚を網に追い込んで大量に殺すことに何の迷いも持ちませんでしたが、魚の1匹、1匹が、加えられた危害に痛みを感じ、怖れをも感じているという事実は「ダンゴムシ」以上の衝撃でした。
以来、養殖魚は海を知らずに生簀で一生を終えるが、それでは可哀そうではないか・・・とか、
大地と海をきれいにして魚介類の自然増殖を促し、海で自由に生きた後に苦しまない方法で獲り、感謝して食べるのが、モノ言わぬ魚たちへの礼儀ではないか、などと考えるようになりました。

 

(次回へ続きます…3/4回)

 

2012年8月26日 奨励 「生きることの本質」2

I・K(男性)

 

2ヒトの思考様式
このように、ヒトには、弱く、愚かな面と、強く、気高い面が共存しています。
魚のように海を渡り、鳥のように空を飛びたいと願って作り出した船や航空機も、人類を救う筈の核エネルギーも、人を大量に殺す武器として利用されてしまい、科学の進歩は人類を幸せにしない結果になっていますが、幸せになれるかどうかは、心のあり方で決まると思います。

①「沈黙」の神
切支丹弾圧の江戸時代の、神をテーマにした、遠藤周作の「沈黙」に、主人公のポルトガル人司祭に棄教させようとする長崎奉行の配下によって3人の信徒が海に突き落とされる場面があり、司祭が神に助けを求めて祈りますが、神は沈黙を守り続けます。
尚も続く信徒への拷問に耐えられなくなった司祭は、信徒の命乞いをして踏み絵を踏むこと、即ち信仰を捨てる決心をします。多くの信徒に踏まれてすり減った踏み絵の痩せたイエスの顔を見た時、その眼が「踏むがよい、お前たちに踏まれるために私は存在しているのだから」と語りかけます。
この場面は読む人によって解釈が異なるようですが、私は、その人の心が救われるなら、神に対する見方や聖書の解釈が異なっても、それでよいのではないか、と考えています。

 

②聖書と科学
先ほどの創世紀1章27節「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された」に続く「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物すべてを支配せよ」という記述には「人類は頂点にあって地球や生物を自由にできる」という、当時の世界観が表現されていますが、現代のヒトの思考様式は、それと殆んど変わっていないようです。
一方、科学における、進化論は聖書のその箇所を否定しており、最新の遺伝子解析からの『生物はみな祖先を同じにする兄弟』であるという事実も、聖書の前記記述を否定しています。

 

③人類への警鐘
今、人口爆発と自然破壊が際限なく続いていますが、それは繁栄した生物が破滅する時に見られる終末的な状況であるという指摘があります。
立花 隆は、著書「エコロジー的思考のすすめ」で「人類は進歩と繁栄を謳歌しながら、滅亡の縁に向かって行進しつつある。・・・あるいは、まだ、望みが残されているのかもしれない。
もし望みがあるとして、その唯一の手がかりは、人類がこれまで金科玉条としてきた思考様式の変革にある。生態学は、人類に精神的な革命を要求している。価値体系の転換を要求している。この革命を通過することなしに、人類の未来はない。」と警鐘を鳴らしています。

星野道夫は、アラスカに住み、移動するカリブーの気が遠くなるほどの長い群や、寒風に耐えて花を咲かせるワスレナグサ:Forget  me  not!などの生物を見つめ続けて、壮大な自然の中の生命の愛しさを、息をのむような写真と珠玉の文に遺しました。その本の中に次の1節があります。
「脆さの中で私たちは生きているということ、言いかえれば、ある限界の中で人間は生かされているのだということを、ともすると忘れがちのような気がします・・・」彼は、命の本質に気づき、人類は、生かされているということを教えてくれた真の伝道者だったと、思えてなりません。

 

(次回へ続きます…2/4回)

 

2012年8月26日 奨励 「生きることの本質」1

I・K(男性)

 

1 歴史の通過点で

①コーカソイドの専横
イエス誕生から現在までの2千年は、コーカソイド:ヨーロッパ系白人の諸国が、キリスト教と、一早く手に入れた武力を背景に世界に君臨し、モンゴロイド:黄色人種やネグロイド:黒人の土地を奪い、搾取し、奴隷で使う等の専横を続けてきた歴史であり、今は、「グローバル化」という、先進国の都合で経済戦争を進めているために、後発国や他宗教を信じる民族との間で格差が広がり、不信や憎悪の連鎖が続いています。
日本では、江戸末期に黒船が現れ、欧米列強の侵略を怖れた長州と薩摩が手を結び、クーデターで幕府を倒して近代化を進め、国力増強に不可欠な資源を求めて大陸に進出して列強と衝突したために第2次大戦が始まり、その終わりは、米軍による沖縄攻撃、民間人を殺戮した市街地空襲、と続き、止めは、一瞬にしてこの世に地獄を作った原爆でした。

 

②空襲・原爆・命の継承
私の満2歳の誕生日直前の、1945年3月10日の東京大空襲は、下町一帯を猛烈な火が襲い、逃げ場を失った無数の焼け焦げた遺体が、折り重なって隅田川を漂いました。
この時、牛に荷車を引かせて埼玉県から1昼夜かけて迎えに来てくれた祖父のお陰で、間一髪で、母と子がごった返す東京を抜け出すことができました。
私はこれ以外に、海の遊びや潜水の仕事で、あわやのピンチを紙一重で逃れたことが何度かありますが、助かったのは、運命、又は、Something Great:何か偉大なもの、の支配によるのではないかと思っています。 東京から遙か西方の下関では6月29日と7月2日の大空襲で市内全域が焼け野原になり、8月9日の長崎原爆は、当日の小倉上空の天候悪化で急遽変更されたもので、小倉に落とされたら下関も被害を免れず、それらの被災で当地に居たカミサンの母親が死んだら・・・。或いは、激戦の中国戦線に加わっていた父親が死んでいたら、カミサンは生まれていません。
私か、カミサンのどちらかが居なかったら、私達の子どもや孫は存在せず、私達の両親、その親、その祖先が、一人も途切れることなく続いたお蔭で、命が繋がっていることに気付かされます。

 

③アウシュビッツの奇跡
ポーランド南部のアウシュビッツで、ホロコーストを奇跡的に生き延びて「夜と霧」を書いた精神科医ヴィクトールフランクは、絶望的状況下で、仲間の心が破綻しないように、夕日や草花など、1日の出来事で感動したことや美しいと感じた些細なことを密かに話合う時を持ち続けました。
しかし、フランクルは、ドイツの降伏で解放された時に両親と妻が収容所で既に死んでいたことを知らされます。その後、収容所での人間の行動を検証して多くの書籍を残し、「与えられた運命」に対して、どのように生きるかによって、その人の真価が決まる、と述べています。
アウシュビッツでは、もう一つの奇跡が起きています。
脱走のみせしめに、10人に飢え死の刑罰が言い渡され、その一人が命乞いをした時に、身代りを名乗り出たコルベ神父です。 餓死刑は、苦しむ人が壁をかきむしった跡が残るような残酷なものですが、神父は悠然とした態度で苦難に耐え、それに倣った他の9人も、最後まで、祈りを捧げ、讃美歌を歌って平静な心を保ち、ナチスを驚かせたという記録が残っています。

 

(次回へ続きます…1/4回)

 

帰っていく場所としての教会

T・T(女性)

 

私は、下関丸山教会で、21歳になった年のイースターに洗礼を授かりました。それから20年以上、この教会のメンバーとして日曜日の礼拝に出席し、様々な行事に参加してまいりました。でも熱心に奉仕しているか?とか教会のために尽くしているか?と問われると自信のない答えしかお返しすることができないことが恥ずかしいです。ずっと周囲の皆様に甘えながら、今もなお甘えつつ教会生活のはしっこに加えさせていただいているのです。


私のような性根のないクリスチャンでも教会生活を継続してくることができた、そこに丸山教会のあたたかさ、優しさがあります。心が沈んでいる時、ほっとしたい、安らぎたい、拒絶されるのではなく受け入れてほしいと思った時、その求めに応えてくれる、ここはそのような場所なのです。


でも、比較的最近になって気づいたことなのですが、丸山教会がいつも私にとって苦しい時の「避けどころ」、一旦は離れることがあってもまた再び帰っていくことのできるところであり続けてくれたのは、迷って離れていく羊たちを、いつでもあたたかく迎え入れようとして、そのための備えを怠らないでいて下さる方々がこの教会におられるからこそだったのです。


丸山教会では、日曜日の朝9時から子供達、中学生、高校生のために教会学校の礼拝が守られているのですが、今子供達をとりまく環境は、大人同様忙しく、ゆとりに欠けていてその影響は教会学校にまで及んでいます。礼拝は行われているのに出席者がいないという事態が頻繁なのです。でも、そのような状況の中でも、いつ子供達が教会学校を訪れてくれるか分からない、いつ来てくれてもいいように、子供達の気持ちが教会に向いた時、ちゃんと迎えてあげられるようにと毎週、教会学校のスタッフの方々が忠実に礼拝を守っておられます。


年配の方、お体があまり強くない方、日頃お仕事をなさってお疲れのはずの方々が、日曜日の朝早い時間に教会のホールに集って、生徒がいなくても讃美と祈り、メッセージとを休むことなくささげておられるのです。自分から離れていった子供をも大喜びで迎える父の姿は、私たちが聖書を通して知る神のイメージです。求めて訪れるもの、一旦は離れてもまた帰ってくるものをいつでも心から迎え入れる教会、それはまさしく神様の愛そのもの、私にとって丸山教会とはそのような教会なのです。

 

 

奉仕に、支えられて

H・N(女性)


私はキリスト教ではない家庭で育ちましたが、兄の熱心な導きで教会に行くようになりました。牧師が勧めるままに、20歳の時、クリスマス礼拝で洗礼を受けました。

 

最初の頃は、何も分からずに戸惑ってばかり・・・。ある日、牧師夫人が家庭菜園をしておられるのをお手伝い・・・。実家が農家なので、働くことは苦ではありませんでした。

 

牧師ご夫妻は、大変喜んでくださり、感謝してくださいました。それ以来、時折、教会に伺い「草取り」をするように・・・。25年前、下関丸山教会のメンバーになった時も、「草取り」「清掃」の奉仕をしよう、と自分に言い聞かせたものです。

 

「草取り」をしていると、通りがかりの知らない方が「お声」をかけてくださることも・・・。私にとって、何よりも「健康」であること、一人で色々思いを馳せる「ゆったり」とした時間をもてることが感謝!!。

 

下関丸山教会では、毎週土曜日10時から、壮年会、オリーブ会、しらゆり会や有志が交替で教会の清掃を。また、週報の係りの方、お花を生ける方などが、日曜日の礼拝の準備をします。神を賛美する喜びの礼拝を心待ちにして・・・。

 

その他、日曜日の朝早くから教会学校のスタッフの方々。礼拝看板を書いてくださる方々など見えないところで奉仕をしている方々が多くいます。

 

私は、最近「エベンゼーの教会」(オーストリア:織田義郎氏の水彩画)の水彩原画を見ました。「私の教会」もこのように「あればいいなぁ!」と願っています。川のほとりに街が広がっている中に、ひときは高く教会の赤い塔が立っている風景画・・・。

 

周りに住んでいる人々は、毎日、教会を見ながら生活を・・・。下関丸山教会が「ここに立って」無言で、「神の慰め」を語り続けている。下関丸山教会の礼拝堂そのものが「世の光」「地の塩」として証をしている・・・。そのための奉仕を喜んでしていきたい・・・。奉仕を通して実は育てられてきた、と思っている昨今です。有難うございます。神様!!
 

 

喜びをともに!

教会員 T. K (女性)

 

初めまして。私は、下関丸山教会で過ごす時間をとても楽しみにしている者です。
下関丸山教会に通い始めておよそ10年が経ちました。主婦と仕事の忙しい合間を縫って、下関丸山教会に顔を出しています。

 

例えば今、毎週水曜日の「聖書の学びとお祈りの会」で、新約聖書の「テサロニケの信徒への手紙(一)」を、学んでいます。
その時代背景、書かれた状況を牧師より教えてもらい、原文の言葉の意味を説明してもらうことにより、一人で読むと気付かない部分に肉付けがされていきます。

 

「テサロニケ」は、パウロの書いた初めての手紙であり、イエス・キリストの十字架の死からほんの20年後くらいに書かれたそうです。
そのことを知ることにより、聖書に書かれていることが、よりリアルに感じられます。

 

また、パウロは天幕作りの仕事で生活費を得ながら、あの伝道旅行をしていた、とか。
大使徒パウロが、ぐっと身近な生身の人になり、さぞお疲れだっただろうと思うと同時に、その偉大さや、愛がさらに強く感じられます。

 

何よりも、語る友川牧師が心より聖書に感動していることがいつも伝わります。その友川牧師のメッセージに強く励まされ勇気をいただいています。

 

学びの後、皆で順繰りに牧師や信仰の大先輩の方々に混じって、慣れない私も口ごもりながらお祈りをします。

 

この週の半ばの「聖書の学びとお祈りの会」が、私にとっては、砂漠の中のオアシスに値する時間と言っていいでしょう。
汲めども尽きない御言葉の泉をいただき、力づけられて、またあわただしい日常に戻るのです。神に生かされていることを感謝しながら。

 
 
とにかく、生きる

教会員 I. K (男性)

 

教会の門をたたいた日のことを、昨日のことのように思い出します。

 

30年勤めた会社が厳しいリストラを断行し、50歳で人生の転機に直面しました。
妻に任せきりだった大学生の長女、高校生の長男、中学生の二男、のことに初めて思いが至り、この地から社会に送り出すまで頑張ろうと、当地で独立することにしました。

 

ところが、世間に跳ね返され、退職金が見る間に減り、見通しの甘さを後悔し、不安に怯え、いつの間にか、自殺の場合は保険がいくら入るかという計算をしていました。

息苦しさに、当てもなく車を走らせていた時、偶然、小さな看板が目に入り、それまで存在すら気付かなかった教会の門を、ワラにもすがる思いでたたきました。


ゆっくり話しを聞いてくれた山崎牧師は、
「後ろばかり見ていると病気になる。苦しい時 はいつでも来なさい。」
と声をかけ、とにかく前に進むように背中を押してくれました。
迷って後ろばかり振り返っている内にウツになりかけていたことに気付きました。

 

迷った時や疲れた時に寄ると、礼拝堂の花が迎えてくれ、パイプオルガンに心が和らぎ、
説教や教会員との語らいに気持が楽になり、元気になって仕事に向かうことができました。

 

この15年。
生きることの厳しさは少しも変わっていませんが、
子どもたちを社会に送り出すことができ、生きていることに感謝できるようになり、
『門をたたきなさい。そうすれば開かれる。』
という聖句が少し分かるようになりました。